勿用翻譯機謝謝!主人を亡くしてから、私は外出するときもパートに出るときも時計を持っていかないことにした。初めは少し不便だと感じることもあったが、慣れてくると不便どころか、かえって生活にゆとりさえ出てきた。時計を持たなくなったからといって、時間のことを全然考えずに生活しているわけでわないし、身の回りに時計が一つもないわけでもない。私の寝室には目覚まし時計があるし、ビデオや電子レンジ、それに炊飯器や洗濯機などの電化製品にまでデジタル表示の時計が付いている。パートの行き帰りにも、駅や銀行のビルなど、あちらこちらにある時計を見て、時間を確かめることができる。時計を持たなくなって、私は自分が前ほど時間を気にしなくなっているのに気が付いた。まず、歩きながら「約束の時間まであと何分」と、何かにせき立てられて何度も何度も時計を見ることがなくなった。また、急ぐ用事もないのに電車を持ちながら何回も時計を見ていらいらすることもなくなったし、時計を合わせる必要もなくなった。昔から腹時計などと言うが、私も時計を見なくてもだいたい時間が分かるようになった。「もうそろそろニュースの時計だろう」と見当を付けると、それが大きくは間違っていない。風呂を沸かしたりインスタントラーメンに湯を注いで時間を待つ時も、今では時計とにらめっこしなくてもよくなった。「もうできているはずだ、だいたい三分くらい経ったから」と、試してみるつもりで時計を見ると、それがほぼ正確だからである。私はこんな生活が気に入っている。主人は出発前にどんな時計を買ったのだろうか。時間に追われるような気持ちで、何度も何度もその時計を見ているときに事故に遭ったのではないのだろうか。「田舎に引っ込まなくても、時計と縁のない生活はできますよ」私は今日も主人の形見にそう語りかけている。
可否幫忙翻譯此文章! - 石英錶
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